ここに紹介するのは、1998年の伝法院の大会の時に披露されたもので、戦後初めて公開されたそうです。
著作権ってのは死後50年で消滅するはずだし(そもそも作詞者が不明)、長唄はたぶんJASRACとかとは関係ないと思うのですが、それでも「歌詞」は歌詞…もしまずいようだったら削除します。なお、「抄訳」は、この大会のパンフレットから引用させて頂きました。
なお、「社団法人 長唄協会」のサイトの「希曲研究データベース」リストにも載っています。
歌詞の中で下線が引いてあるのは源氏物語五十四帖の巻名です。ただ、なぜか「朝顔」が見当たらないのと、「若菜」は上下巻なので、ここに読み込まれているのは全部で52ヶ所ということになります。
長唄 投扇興 『慕紫四季彩』 作詞=不明、作曲=二世杵屋六松
明治二十年(1830)頃の作品
夫れ舜王の五明扇 五つの徳のあるとかや 高祖よりは稚尾せん
周の武王が涼扇を つくりひろめて世につたふ
我朝にては神功皇后三韓を 征伐なせし折からに
蝙蝠の羽根を見て 作り給ひし末広や
新玉の年のみつぎの玉扇 投げる扇のけうありて 光る源氏の舞扇
幾千里薫る 梅が枝花扇 あさく縞めや袖袂 初日影そふ紅梅の 若菜心にしむるかな
うたひぞめする鶯の 初音長閑に霞さへ 指手引手の面白や
雲井に舞える田鶴の羽も 若紫の藤袴
あけほのぼのとあかねさす ゑがほつくろふ山のはの 裾は花散里ならん
卯月はじめの扇こそ 君が恵の風かほる 袖かほるとはにほふ宮 開く扇の絵合や
うす墨色のさつき空 しっぽりぬるゝ睦事に
もゆるさわらび 篝火の 胸をこがせし蛍火や
心も須磨の浦かけて 明石て実を夕顔の 人目の関や檜扇を かざす扇の間走に
東屋の戸をあげ巻や 花にあおいとみをつくし
野分に狂ふかげろふに 胡蝶の姿 ちらりひらり ちらりひらり しどもなや
秋はさやけき玉葛男の 忍び姿の薄雲がくれ 晴れて御幸を松風や
神にみのりをつむ榊葉に ならす柏木 鈴虫の
音も啼いてうらみつらみを夕霧や ひと夜宿り木 椎が本
藤の裏葉に気を紅葉の賀 あるにあられぬ箒木も 乙女心の幻や
夢の浮橋 常夏かしく 思い竹河身は浮舟の 棹の雫に橋姫の
音こそつきせぬ横笛や 我を忘るな真木柱
げに手習の書初や よもぎふの名もかへてける 今日唐衣空蝉や
末摘花の桐壺も 三つの世ひらく花の宴 五十四帖はさながらに
幾千代跡を立川や 投扇興の歌合せ 末広がれとぞ願ふことぶき
◎歌詞抄釈◎
題名の角書にある「慕紫四季彩」は、源氏物語の巻名を四季に配して彩る意味に解釈できる。
歌い出しは、まず扇の故事を述べている。平安前期にわが国で創始された定説が、ここでは遠く中国に源があるとしている。「夫れ舜王の」から「ひろめて世につたふ」がそれである。
「舜王」は中国古代の聖天子で、良く国を治め、百歳の長命を保った人。「高祖」は中国の漢の国を興した最初の帝「劉邦」のこと、「稚尾扇」は高祖のはじめた扇の名、「周の武王」は殷の紂王を討ち、周を興し善政をしいた人、「涼扇」は武王のつくった扇のことである。
「我朝にては」から「光源氏の舞扇」まで、わが国の扇の来歴を述べ、投扇興と源氏物語の巻名のかかわりを述べている。「蝙蝠」はコウモリのことで、扇はこの翼から思いついたと述べている。「投げる扇のけう」は投扇興のことである。
「幾千里」から「花の宴」まで巻名が読み込まれ、幾つかの例外はあるが、初春から四季のうつろいに合わせて綴られている。ただ一つ「朝顔」だけが漏れており、その理由は分からない。掛け詞もふんだんに用いられ、巻名を巧みに配しているのが特徴である。