婦女手藝法(ふじょしゅげいほう)
須永金三郎編
發兌(はつだい?)書林 博文舘刊
(所在地:東京市日本橋区本町三丁目)

明治26年2月に刊行された本書には、他の資料と同様に投扇興の歴史や道具の解説に続いて、投扇興の銘定について記述されているのですが、他に類のないユニークな部分がありました。
詳しいことは「その他の形式」に表形式でまとめましたので、そちらをご参照ください。

この明治初期の時点でも「投扇興は明治維新までは盛んだったが、今はすたれている」と書かれていることが興味深いです。
また、現在の其扇流でも用いられている「銘定行司(本文では「行事」と記されている)」および「字扇取役」「満投」という用語もすでに見られます。
あと、敷物として一般的な毛氈の代わりに「毛布でもよい」とわざわざ書いてあるのが新鮮でした。しかも読み仮名が「けつと」つまりブランケットのことだと思いますが、わざわざ英語で書いているのが当時はハイカラだったのでしょうね。
試合の進め方や銘定は百人一首形式を紹介していますが、「最近は源氏物語形式の品が売られている」といった記述もあります。「1投目と12投目が同じ銘だったら、それに該当する歌を書く」というのが楽しいですね。


第六編 遊藝

第三章 投扇興

第一節 投扇興の由来
投扇興(とうせんきやう)は近古(きんこ)世に出でし遊戯(ゆうぎ)にてもと漢土(しな)の投壺(とうこ)の遊戯に擬(なぞら)へしものなりといふ戯壷(とうこ)の戯(ぎ)は所謂(いはゆる)君子(くんし)の爭ひなりといへどその法我國(わがくに)に傳(つた)はらす且つ漢土(しな)にても既に癈(すた)れたりといふ投扇興は維新前(いしんぜん)までは盛(さかん)に行はれたれど今は稍(やうや)く癈(すた)れて其の方法を知るもの少しされど此の戯は禮式(れいしき)最も正しく品格(ひんかく)亦(また)卑(いや)しからで女子席上(せきじやう)の翫(もてあそ)びには此上もなきものなれば左に其(その)競技(きやうぎ)の次第(しだい)を示すべし
投扇の起原(おこり)は其扇(きせん)といへるもの曾(かつ)て晝(ひる)寢(い)ね醒(さ)めて席上を見るに木枕(きまくら)の上に一羽(いちわ)の蝴蝶(こちょう)止(とま)り居りしかば傍(かたはら)に在る扇を取て之に擲(なげう)ちしに扇は枕上(ちんじょう)に止り蝶は遥かに飛(とび)去りたり其扇(きせん)その有様(ありさま)の妙趣(めうしゆ)あるに感じて再び扇を取て之に擲(なげう)ちしかどこたびは枕の前后左右(ぜんごさいう)に落ちて其上には止らざりしかば此(こゝ)に初めて仮の投壺(とうこ)の遊戯を想ひ起し十二字を紙に包みて枕の上に置き扇を以て之に投け勝敗(かちまけ)を爭はゞ面白かる可しと思惟(しゐ)しそれより之を投扇興と名(なづ)けてその技の禮法(れいはふ)を著はせしが人皆面白きことに思ひて都鄙(とひ)一般に流行(りうこう)するに至れりと云ふ
投扇興の具は市中(しちう)到(いた)る處(ところ)の玩具店(をもちやみせ)にあれどもし買入(かひい)るゝに便(びん)なきときは左の式に倣(なら)ふて作る可し

第二節 投扇道具
(一)的玉蝶.通寶(つうほう)十二字(一厘錢)を錦(にしき)又は他の金糸(きんし)入りの帛(きれ)にて包み蝶の形に似せて金銀の水引にて結ぶ之を的玉といふ但し即座はこの式に關(かん?)せず適宜の紙にて包むもよし但し紙の寸法は必らず五寸四方と定む(以下皆即座は本式に限らずと知る可し)
(二)扇.扇は十二骨の俗扇(なみあふぎ)を用ふ地紙(じがみ)は浅黄色(あさぎいろ)に金銀にて山櫻(やまざくら)或は紅葉(もみぢ)等を書く
(三)枕.枕は尋常(よのつね)の木枕(きまくら)の寸法なり之も紅葉等の蒔繪(まきえ)あり或は梨地(なしぢ)黒塗(くろぬり)等あり
(四)敷物.敷物(しきもの)は猩々(しょうじょう)緋羅紗(ひらしゃ)或は毛氈(もうせん)等なり止むなくば毛布(けつと)にてもよし長さ八尺幅一尺七寸に切るかさなくば疊(たゝ)みて用ふ可し之を投席と云ふ、

第三節 投扇作法
(一)席法.枕と投席との間は四季に形どりて枕より四扇(しせん)即ち扇だけ四つを隔てゝ坐し、兩人(りやうにん)相對(あいたい)して坐す可しかくて互に先投(せんとう)を辭譲(ぢじよう)して投け始むるが禮なりかくて左に字扇取役(じあふぎとりやく)一人右に銘定行事(めいさだめぎやうじ)一人外に記録を付する役一人番數(ばんかぞ)を定め置きて投する事例(れい)あれど一人一人代り々々(かわりがわり)に席に着きて競技(きゃうぎ)するもよし總(すべ)て投(か)數(ぞ)は十二回(たび)にして満投(しまひ)とす其勝敗(かちまけ)に因りて褒賞(はうび)に種々(さまざま)あり之を記録して百首の歌を書するものなり、別に相撲に擬(なぞら)へ四本柱を立て軍配を以て勝負を分つことあれと煩しければ略す、

(二)記録付の圖(ず).圖(ず)中の、、は無點(むてん)の印(しるし)なり、

散、鳥笠富、散、、散秋、            右某
散々、、幸、筑散秋、、散            左某
久方の光り長閑き春の日に賤心なく花のちるらん
            (右三十七扇 左三十九扇勝)

右の圖(ず)の如く執筆者(しつひつしや)記録するなり、散はちる花の印(しるし)、笠はみかさの印、鳥はちどりの印、富はふじ、秋はあき風の印、筑はつくばねの印、以下之に準す是は投扇の勢(いきほひ)の變化(へんくわ)に因りて扇の形(なり)及び的玉(まとだま)の落やうにては其(その)起臥(をきふし)を験査(けんさ)し圖する所の名目を記録するなり之を記録するには一扇(いっせん)毎に左右の當(あた)りを記す可し最初投けたる扇ちる花となり又十二回の終りに投げし扇初の如くちる花とならば圖の如く點勝(てんかち)の部に入れ褒賞(ほうしやう)としてちる花の歌を記録に書すこの歌は左右(さいう)別のなく勝ちし方へ付するなりちる花に限らず何(いず)れなりとも首尾同じきときは歌を書することゝ知る可し首尾同じからざれば尋常(つね)の褒賞(はうび)のみにて歌を書せず又十二回終りたるときは執筆(しつぴつ)より聲(こえ)を掛(か)く可し右に載(の)する點(てん)は當(あた)らざる扇のみにあらず譬(たと)へば扇に當り的玉もその儘(まま)ありて向ふまで達せざる扇、是をあだ浪(なみ)といふ又は的玉かすりて向へ行過ぐる扇是を村雨(むらさめ)といふ或は的玉も落ち扇その傍に落ちたりとも圖する所の名に當らざる扇なれは悉(ことごと)く無點(むてん)と成るゆゑ、を書す、點は無點の印なり
又投扇の題歌(だいか)は主に百人一首を用ふれども強(あなが)ち百首撰(ひゃくしゅせん)にのみ限らず源氏等を撰ふも可なり、今にては主に源氏に取る故に市中の賣品は皆源氏の香式を書けり

(三)點數(てんすう)定則.競點(てんとり)の定は左の表によりて優劣(いうれつ)を附す


以下、銘定については表形式にまとめた方がわかりやすいので、「その他の形式」の方をご参照ください。