投扇興関連の年表

1848(嘉永元)年に成立した江戸の年代記『武江年表(ぶこうねんぴょう)』などに、投扇興に関する記述がいろいろ残っています。他、岩波書店「國書總目録」など種々の資料をまとめて見ていると、私もけっこう勘違いしていたことに気づきました。一口に「投扇式」とか「投扇興」等と言っても、別の文献を指している場合があるのです。
そこで、自分の理解の助けにもなるかと思い、表にまとめてみました。何しろ私は共通一次の社会は倫社と政経で済ませたくらいの歴史オンチなので、年号だけではいつ頃のことかピンと来ません。そのため、当時がどういう時代だったのかの補足もつけました。
世界に目を向けてみますと、たとえば投扇興が起こったとされる1773年というのは、アメリカが独立した1776年の頃ということになります。

余談ですが、10代将軍家治という人は、老中の田沼意次に政治を任せ、自分は将棋好きが高じて『象棋攻格』(もしくは『将棋攷格』『将棋攻格』『象棊攻格』)という詰将棋作品集を自ら著わしたという人だったそうです。そういう人の治世に投扇興という遊びが興ったというのも、なかなか興味深いことです。

年代 投扇興に関する出来事 当時の日本の出来事 将軍・首相等
と在職期間
1773(安永2)年--月--日 「投扇興図式」(別名:投扇式)刊行。
投扇興の起源とされる京の投楽散人其扇の逸話など。 
田沼意次が老中に。(1772) 10代家治
1760〜1787
1774(安永3)年04月19日 内裏で投扇戯あり。貴賤の別なく江戸の町なかでも流行。 隅田川に吾妻橋(当時は大川橋)が完成。
「解体新書」刊行。(1774)
1774(安永3)年07月06日 桜町殿で投扇戯あり。
1781〜1800 天明〜寛政年間、投壺が流行。やがて廃れていく。   11代家斉
1787〜1837  
1808(文化5)年08月--日 投扇の戯が流行して、「賭をなして甲乙を争ひ」たために
禁止にされる。
間宮林蔵、樺太探検。
1809(文化6)年--月--日 投扇の専門書『投扇之記』が刊行。
他、『投扇式(投扇興図式とは別のもの)』や『投扇興譜』
などの手引き書が相次いで刊行される。
式亭三馬「浮世風呂」刊
1822(文政5)年08月17日 浅草寺奥山、御蔵前通、両国などの盛り場で流行していた
投扇興行が禁止される。当時、中川五兵衛が浅草寺境内
に仮小屋を設けて客に遊ばせていた。
シーボルトの鳴滝塾(1823)
1849(嘉永2)年07月--日 江戸で投扇が、大阪から伝わり流行。  天保の改革(1841)
ペリー来航(1853・嘉永6)
12代家慶
1837〜1853
   (以下、調査中)    13代家定
1853〜1858
        14代家茂
1858〜1866
       15代慶喜
1866〜1867
       明治・大正
      昭和戦前
      昭和戦後
      平成

参考文献: