(イ)銘の変遷
遊戯の勝負は点の多少によるが、点は扇子と蝶とが作つた型によつて決定する。これを「銘」叉は「点式」と称する。しかしこの銘は、種々な変遷と異同とがある。
始めはその数も少なく、名称は百人一首の歌詞の一部を用ゐたのである。投扇式には左の十八種が規定してある。
かりほの庵 | 高点十二扇 | 御幸 | 点十一扇 | 筑波根 | 点十扇 |
千鳥 | 点九扇 | 富士 | ”八扇 | 三笠 | ”七扇 |
有明 | ”六扇 | 錦 | ”五扇 | 秋の野 | ”四扇 |
初霜 | ”三扇 | 松山 | ”二扇 | ちる花 | ”一扇 |
山颪 | 過料三扇 | 雲がくれ | 過料二扇 | おく霜 | 過料一扇 |
むら雨 | 不中扇 | あだ浪 | 不中扇 | ゆらの戸 | 不中扇 |
投扇新興によると、二十二種になり、それが表組(十種)裏組(十二種)に分れ、表組は十于(う)に裏組は十二支に象(かたど)ることとなつてゐる。即ち
表組
瀧川 | 過料二点引 | 散花 | 三点 |
龍田川 | 七点 | 秋風 | 八点 |
千鳥 | 十四点 | 富士 | 十一点 要枕の脇 へ外る時は八点也 |
筑波根 | 十二点 字包たほるゝ 時は八点也 |
橋立 | 十三点 |
白妙 | 廿五点 褒美 包枕につけば褒美なし |
春の野 | 二十点 枕より扇外れて 下にある時は十五点也 |
裏組
高砂 | 三十点褒美 | 小莚 | 廿二点 | 仮寝 | 廿一点 |
山桜 | 十九点 | 沖の石 | 十八点 | 小倉山 | 十五点 |
軒端 | 十二点 | 有明 | 十点 包扇の 下に入れば五点 |
玉の緒 | 九点 |
我庵 | 五点 | 嵐 | 三点の過料 包 起る時は過料 |
手枕 | 二点 |
然るに文化頃の銘は、百人一首でなく、扇の形にふさはしい雅詞を用ゐてゐる。これは三十六種の多きに達してゐる。
上は風 | 一点 | 春風 | 三点 | 山嵐 | 五点 |
野分 | 六点 | 鴫立澤 | 七点 | 二見の浦 | 六点 |
天津風 | 九点 | 横雲 | 十三点 | 夕がほ | 十五点 |
富士の根 | 十八点 | 水の田影 | 十九点 | 銀河 | 廿点 |
浦の苫屋 | 廿点 | 敷妙 | 廿二点 | 朝日影 | 廿三点 |
透垣 | 廿五点 | 蔦の細道 | 廿五点 | 玉琴 | 廿六点 |
芳野川 | 廿七点 | 芳野山 | 三十点 | 早乙女 | 丗二点 |
神風 | 丗五点 | 花車 | 丗三点 | 破れ車 | 丗八点 |
武蔵野 | 四十点 | 夕日影 | 四十点 | 翠簾の間 | 四十三点 |
垣間見 | 四十五点 | 月宮殿 | 四十七点 | 戸無瀬 | 四十八点 |
かけ橋 | 四十九点 | 胡蝶 | 五十点 | 比翼 | 無点一座の勝とす |
連理 | 無点一座の勝とす | 木枯し | 三点引 | 山あらし | 一座の負とす |
以上の如く時代を追うて種目を増し、点も豊富になつて来たが、やがて一層の工夫と補正によつて五十四種となり、名称も源氏物語の巻名を附することゝなつた。
源語五十四帖を採つたのは、何時頃からであるか判明しない、江戸風俗惣まくり(著者不明)には、「投扇興の源氏合は文政度大いに流行すること」と見えるし、武江年表の嘉永二年の條に投扇興が大阪より流行して来た由を記し、割註に「投扇は投壺より出で、安永頃の大阪の人工夫しけるとか、源氏物語五十四帖の題号によりて其名目を定め甲乙を争ふ云々」とある故、文政年間以後には五十四帖を採つてゐたと考へられる。賣扇庵(ばいせんあん)製の投扇興の銘には、「大阪の人某更に考案し、変化を五十四種に分つ」とあるから、これも大阪から次第に江戸に入つたものと考へられる。ともかくも文化版の投扇式には前述の如く雅詞によつて定めてあるから、その後文政度から五十四種になつたものであらう。
然るにこの五十四種も、時代及び製作所によつてやゝ趣を異にする。余の見た三種(一は賣扇庵製、一は榛原(はいばら)製、一は前述黒川氏引用の物)について見ても、同名であつて其型と点を異にするものが頗(すこぶ)る多い。今左に点を比較して掲げて置かう。
桐壺 | 七十五点 | |
箒木 | 八十点 | |
空蝉 | 十五点 | (賣)蝶にて釣る扇の先が下へ つかねば十五点増す。黒十点 |
夕顔 | 八点 | |
若紫 | 十点 | (黒)四十点 |
末つむ花 | 二点 | |
紅葉の賀 | 四点 | (黒)四十点 |
花のゑん | 五点 | |
あふひ | 五点 | (黒)四十点 |
さかき | 七点 | (黒)七十五点 |
花ちる里 | 無点 | |
須磨 | 十点 | (黒)二十五点 |
明石 | 二十点 | (黒)三十点 |
みをつくし | 五十五点 | |
蓬生 | 丗五点 | 両つま上り五十点(黒)五十点 |
関屋 | 一点 | (黒、榛)二点 |
絵合せ | 三点 | |
松風 | 四点 | |
うす雲 | 二点 | (黒)八十点 |
朝がほ | 八点 | (黒)五点 |
乙女 | 六十五点 | (賣)蝶を要にて掛ければ十点増し |
玉かつら | 二十五点 | 蝶にて要を支うれば十点増し (黒、榛)三十点 |
はつ音 | 十五点 | (賣)蝶が扇骨の間に挟まれば五点増し、 要が箱から外れると五点増し (黒)廿五点 |
胡蝶 | 八十五点 | |
ほたる | 五点 | (賣)蝶扇共落ち蝶は要叉は親骨のそばに立つ、 一寸の間也 (榛)四十五点 |
常夏 | 五点 | (賣)蝶の両方上れば十点増し (黒)五十点 |
篝火 | 九十点 | |
野分 | 過料三十点 | (黒、榛)過料五十点 (共に蝶立てば過料なし |
みゆき | 三点 | |
藤ばかま | 五点 | (榛)一点 |
槙柱 | 丗点 | 鈴が要にからみて下れば二十点増し (榛)廿五点 |
梅が枝 | 四点 | |
藤のうら葉 | 四十五点 | |
若菜上 | 二点 | (榛)二十五点 (黒)四十点 |
若菜下 | 七点 | (黒)これなし 「雲隠」(二点) |
柏木 | 五点 | (榛)七点 (黒)八十五点 |
横笛 | 五十五点 | (榛)六十点 |
鈴むし | 八点 | (賣)蝶骨の間から立てば十点増し (黒)四十点 |
夕ぎり | 八点 | (賣)蝶骨の下になる (黒)四十五点 |
みのり | 九十五点 | |
まぼろし | 廿五点 | 蝶扇を挟みて地紙の上へかゝれば十点増し。 (榛)二十点 (黒)丗点 |
匂ふ宮 | 五点 | (黒)八十点 |
紅梅 | 六十点 | (黒)百三十点 |
竹川 | 十五点 | (賣)蝶扇の内へ入れゝば五点増し |
橋姫 | 丗点 | (賣)蝶扇の前にあれば十点増し |
椎が本 | 廿五点 | (賣)蝶ねるを十点減ず。 |
あげ巻 | 十点 | (榛)八点 (黒)十五点 |
早わらび | 四点 | (黒)八十五点 |
やどり木 | 八点 | (黒)九十九点 |
東屋 | 五点 | (黒)四十点 |
浮舟 | 二十点 | (賣)箱の前なれば十点増し。 (榛)四十点 (黒)八点 |
かげらふ | 四十五点 | (賣)蝶は地紙にて支へられ落ちぬ。 (榛)四十点 (黒)八点 |
手習 | 無点 | 箱を打てば一点過料 (黒)五点過料 |
夢の浮橋 | 百点 | (黒) |
(右は賣扇庵製を主とし、他を以て補ふ、榛とあるのは榛原(はいばら)製、黒とあるのは黒川氏の銘をさす)
(ロ)賞罰その他
遊戯に賞罰は付き物であるが、投扇興にも古今種々な定めがある。前述した通りそれは投壺の影響によって出来たもの故、賞罰もそれと似てゐる。投壺では勝つた組は負けた組へ酒を薦める。これを敬養といひ勝に誇らない意味であると云ふ。一寸怪しく聞えるが、投壺は君子聖人の遊びであるから、他の遊戯と変つてゐるのである。
これが投扇興へ来ると、それが賞杯罰杯となつて、褒美や罰として酒を呑まされる、投扇式には「但し高砂、白妙を打つ時は褒美として座中一杯づゝ呑むべし、叉嵐、瀧川を投げば過料としてその人二盃づゝ呑むべし、叉その定めのうちにて高砂、白妙を打てば過料ゆるす」と定めてある。新興によるとそのほか種々な特典が出来てゐて、初扇末扇が同じ点をとるのは非常に宜しく、叉鈴の中で特に定めた数題を打てば、歌にかいたり、短冊にしてその人に贈つたり、過料の免除、賞点罰点の加減等があり、或は銘の形状と等しく打つた時はなほつゞけてうつ事が出来る規定が設けられたりした。
文化版投扇式には、最初に題があるのを「初メ」といひどれも五点を増し、終りにあるのを「終り」をいひ同じく五点増し、二度目から終りまでつゞけて題のある時を「連」といつて三点を増す。叉始めから終りまで敗題せず、全部点をとつた場合には「全題」と称して外に七点を増すといふ規定がある。この名称は投壺の名称から採つたものである。叉同書には、毛氈から外に扇の要が出た時は題に入らぬとなつてゐる。但し扇の地は出ても要が毛氈内にある時は題に入るのである。
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右の方法は直ちに現代へ応用することは出来ないであらう、殊に賞杯や罰杯などは到底不適当であらうが、他に之に代るべき賞罰を定めておくのも面白いことゝ思ふ。或は点数の多寡によつて段を附したり、高点者何名に限つて賞品を贈つたりするのは、一面に技の上達となり、一面に遊戯を賑はせるいゝ手段だらうと思ふ。序(ついで)に附記しておく、勝負は満投後二組の総点を比較して定めるので、その記録の方法は、古くはその型の銘名を人名のしたに書いたので非常に優美なものであつた。今文化版投扇式中の記録の例を掲げて見る。現在に於ては必ずしも之による必要はあるまいけれど、なるべくは銘を諳(そら)んじて優美な記録を残した方がふさはしく思ふ。