四 投席と投法

ここからいよいよ、具体的な実技の解説に入っていきます。
持ち方・投げ方(どこを狙うか、どう放つか)によって扇の飛びがどう違うか、狙い方がどう変わってくるか、ここまで詳しく説明した文献は現在でもなかなか見られず、現役のプレーヤーにもなかなか参考になると思われます。


(ロ)投法指南

 投席は全部出来上がり、二組は前後に別れて並び、用意すべてとゝのつたなら、まづ双方一礼して愈々(いよいよ)戦ひに入るのである。文化版の投扇式によると、扇子の順は青、黄、赤、白、黒となし、先手出でゝ青い扇をとつて打つとある。

 そこで読者は扇の持ち方、台と蝶との狙ひ方、扇の打ち方等について質問を発せらるゝであらう。余は先人の言と余の体験とによつて次にくはしく述べる事とする。

 扇の持ち方、新興には、右手に開いた扇を持ち、左手を膝上に置き、腰を落し、体を真直(まっすぐ)にして、右肘を脇につけ、扇の要の先を拇指の上に、食指を下にして持つと記し、文化版投扇式には、要の所を大指と人差指で軽く持ち、向ふ下りに手を出して投げると述べてある。これでほゞ会得された事と思ふが、中にはこの持ち方の外に拇指を下に、他の四本を上に軽く添へて持つ人も往々ある。且つ初心者にはこの方が持ちよいと見えて、多くはそれにする。古来の例からいふと違式ではあるが、点を出す上からいへば共に一利一害がある故、今は両者を採つてもう少し説明しておかう。

 前の持ち方を古式とし、後の持ち方を新式とする。両方とも姿勢や狙ひ方には相違がない。扇と手とがほゞ直角になる程度の下り気味にして打つのである。が左図に示した通り、古式の持ち方で打つた扇は一転して軽くやはらかく波をつくりつゝ台に近づき、要(かなめ)が功(うま)く蝶に当れば「須磨」(十点)「明石」(二十点)又は「あげまき」(十点)を出す。しかし少し扇が下れば台の上を打つて過料を得る場合もある。次に新式の持ち方であると、図の如く扇は強く上部から落ちて来るから、往々「みをつくし」(五十五点)や「桐壺」(七十五点)等を出して、敵を驚かせるが、しかし普通当たつても「花ちる里」(無点)が多く、もし台に当れば「野分」を出して大なる過料をとられる。要(よう)はその力の入れ方ねらひ方にあるが、両者共にその呼吸をのみ込んで熟練すれば、天晴(あっぱれ)名人になる事は確実である。

 序(ついで)にいふておくが、以上の持方であつても、時々変つた落ち方をする事がある。例へば台の上で急に方向を転じ、はらはらと落下してめざましい点をとり、又は斜めに走つた扇が、鈴にふれて思はぬ儲けものをするなど様々であるが、何れも力の工合で扇と空気の争ひから、珍型を演じさせるのである。

 狙ひ方。次に狙ひ方も苦心を要する。明治に出来た京都賣扇庵の投扇興の説明に、扇子の地紙の中より蝶を狙ひて打つと記されてゐるが、これは恐らく骨と地紙との間に蝶をおいて打つといふ説明であらうと思ふ、この方法はたしかに宜(よろ)しい。それなら蝶のどこを狙うかといふと決して上を狙つてはいけない。下の錘(おもり)の所を狙つて打つがよく、上を狙へば蝶は落ちてもよい点は出ず、「花散る里」になる場合が多い。しかし下を狙ひすぎて台に当てるのも勿論よくない。つまり蝶の錘約五分くらいを狙つて打つのである。

 余は長年の経験によつて、最も確実な方法は、扇の骨の中央(八軒ならば四本目と五軒目の間)に蝶を入れ、地紙と蝶の錘とすれすれになつた時放つが宜しいと思ふ。読者は自ら切磋琢磨し新工夫を出して、より確実な方法を案出せらるゝがよい。

 打ち方。最後に打ち方である。持ち方と狙ひ方が完備してゐても、打ち方の呼吸がくるへば駄目である。初心者は右腕を前後に動かして扇子を放すがそれは宜しくない、何故ならば、折角の狙ひがくるうからである。故に投扇式にも書いてある通り、右肘を脇につけて手先のみの運動にしなければいけぬ。即ち狙ひを動かさずその場で扇子を放つのである。その折(おり)心に落つきがなくてはいけない故に故意に敵を笑はせたり、気を乱させる言動はつゝしむべきである。打つものにとつては実に真剣である。弓を打つのも鉄砲をうつのもかはりはない。全く目的物と手と扇子とがぴつたり一致して、はじめて「はつ」と放つのである、その「こつ」が実に困難なので、言葉で説明することが出来ぬが、一言にしていへば、自分の呼吸と、手と扇子と蝶とが一致した時、はく息と同時に放すがよい。外れる扇子は必ず自分で思ひ当るものである、であるから遊者は打つ時だけ暫(しば)らく三昧(さんまい)に入らねばならぬ事となる。自棄打や、無茶打は決してしてはならぬ。一本たりとも心をこめて真剣に投げるべきである。

 以上でほゞ伝授を了(おわ)る。後は読者の努力と工夫とに俟(ま)つ外はない。


其扇庵匠胡注)前項でこの著者は、枕と投席の距離を「畳一畳」、つまり現在の浅草よりも長めに設定しているくらいなので、「体をまっすぐにして右肘を脇につけ」て投げてもまず当たらない(そんなに飛ばない)と思われるのですが、扇をかなり軽く作ったか。「新式」として挙げられている持ち方が現在の御扇流と同じなので、扇も同じく小さめの軽い扇だったのかもしれません。

一般論を述べた後に言及された「時々変わった落ち方」が可笑しかったです。初心者でなくかなりの熟練者であっても、これには本当に悩まされますからね。

蝶のどこを狙うか…「決して上を狙ってはいけない」「蝶の錘約五分くらいを狙つて打つのである」とありますが、これは人によって扇によって距離によってまちまちですので、あくまで参考程度にしておく方がいいと思います。私なんかそもそも蝶の上やら錘どころか、蝶じゃなくて枕の中央を狙ってますし(笑)。その方が扇がふわっとホップして当たるので高得点になるのです。私の場合は、ですが。
それと、「扇の骨の間から蝶を見て狙う」ような表現が見られますが、そもそも扇の角度も深くしたり浅くしたり、いろいろ工夫して自分に適した角度を見つけた方がいいので、これにもとらわれ過ぎない方がよいでしょう。
いずれにしても、著者も書いている通り「読者は自ら切磋琢磨し新工夫を出して」が肝心です。

「打ち方」にまで言及しているのを見て私も思わず身を乗り出すような気持ちで読みましたが、「その「こつ」が実に困難なので、言葉で説明することが出来ぬ」…この著者にしてもそうなんですね(^_^;)。
本当に扇をリリースする瞬間のコツというのは初心者に説明するのが最も難しい過程であり、また自分も何年やってても確定してなくて不調に陥りやすいデリケートなポイントになっています。