三 道具の名称と変遷


 投扇興は台と蝶と扇子と、落ちた型を書いた銘との四つから成立つ。銘については後で述べるから、今台と蝶と扇子の三具の名称とその変遷について記することにする。

(イ) 台

 投扇式の記事によると、台はもと木枕から起つてゐる。即ち投楽散人其扇が午睡目覚めて木枕の上の胡蝶を打つた故事に基いたものである。故に一名これを「枕」ともいふ、始めは当時の木枕と同じ体裁に作つたのが、次第に華美となつて来た。投扇式によると、「塗枕或は蒔絵いつかけ等、物ずき次第、但し蒔絵には銘々内にて絵柄張を用う」とあり、所が投扇新興によると台の名を「的台」といふてゐる。即ち「枕は常の木枕の寸法なり、是にも散る紅葉の蒔絵なり、或は梨に地黒ぬり等也、是を的台といふ」と見える。恐らく的となるべきものを載せる台といふ意味から出たものであらうと思ふ。然るにその後の投扇式(文化六年刊)を見ると、「花台」と称して、長方形の箱でなく、床の間に用ゐる脚附きの台を用ゐてゐる。これは当時の嗜好に応じた変化と見るべく、遊戯を一(ひと)しほ風雅たらしめた結果と思はれる。
 しかし後には一定されて単に台または箱と称し長方形の桐製で、その各面に銘に因んだ極彩色の絵(たとへば紅葉の賀の如し)を施し、源氏香の図を附し、下に一枚の受け台を附する事となつた。且つその大いさも一定され、高さは六寸一二分、巾は二寸五分或は三寸を以て規定とせられ、現今行はれてゐるものは皆これによつて製作されてゐる。
 今左にこの三様式を略図して読者の了解を易からしめよう。

台の変遷略図

(ロ) 蝶

 次に蝶も台と同じく折々その名称製法を異にしてゐる。何れも台に伴つて変るので、始めは「字」叉は「十二字」といつた。それは最初の考案が、紙に文銭十二文を包んで台に載せて打つたことろから起つてゐる。
 投扇式には、「字之事」と題して「十二字(但文銭)飾金入等のきれに包、金紙か銀紙にて裏打として包むべし、金銀の水引にて是を結、枕の上に乗置也、但し十二字の形になまりにて作り用うべし」といひ、投扇新興には、「通宝十二字を銀紙五寸四方にたちて包み、蝶の形に似せて、玉簾の水引にて結ぶべし、十二字は月の数に表す、是を的玉といふ」と見えて、名称が「的玉」と変化してゐる。これは前述の台が的台と称せられたと相対するものである。
 所が寛政文化頃にはこれを「花」と称し、花台と対称してしてゐる。かつその製作は扇容曲に、「花は裁にても紙にても六寸五分四方にして、角を剣形に折返す也、内へ浪の鳥目八つ紙につゝみて入るゝ也、扨(さて)六寸五分の紙二枚、角々入違にして右の鳥目を包み、打紐にても水引にても結ぶ」とあつて、やゝ異なつてゐる。浪の鳥目とは寛永通宝の浪銭をいふのであらう。叉文化版の投扇式にも同じく「花」として図が示されてゐる(製法は書いてない)
 その後これにも一定の形が出来、今迄は一々銭或は銘を紙に包んだのであるが、やがて固定したものとなり薄く硬い布製の杏葉形の下に、鉛を入れた重い台をつけ、葉形の左右には赤い?糸を垂れ、その先に豆鈴を附してある。そして全体は目も覚めるような美しい縮緬などで作られてある。かつその寸法も一定し、高さ二寸五分或は二寸八分、横は何れもそれと同じ巾になつてゐる。
 今次にその変化を図示しておかう。

蝶の変遷略図

(ハ) 扇子

 扇子は初め普通のものを用ゐ、やがて極彩色の華美なものが作られるやうになつた。投扇式に、「金銀の扇に極彩色にて山桜或は紅葉等、銘の中にて絵柄張を書べし、骨は十二軒、黒塗蒔絵毛ぼり等を用う、要は金銀たるべし」とあるから、実に立派なものであつたらしい、投扇新興には「扇は十二骨の俗扇を用うべし、地紙は浅黄色にして、金銀にて散紅葉を模様とすべし」と記してある。しかし後には五色の特別製のものが出来て来た、文化版投扇式には、青、黄、赤、白、黒の五本としてある。その後台や蝶の固定と同時に、扇子も一定し、昔の様な骨の多い重いものは、遊戯の折に種々な障りを生ずるので(例へば箱に傷をつけ叉箱を倒す場合が多い)一は扇子の古式に則り、一は扇子を軽くする為めに、地紙は片面のみとし骨も竹の薄いものを用ゐて数は七軒叉は八軒とし、青、緑、赤、黄、紫の五色の無地とすることゝとなつた。長さは八寸五分が規定である。
 因にいふが、今京都賣扇庵製のは、五色の無地に透しで「美也古扇」と出してあるが、東京榛原製のは、紫と黄と緑、青等の無地のものである。しかしその製法に異りはない。
 以上でほゞ遊具の説明は終つた。読者はこれ等優雅な道具が、何ういふ変化を表はすか、頗る興味深く思はれるであらう。余は次章に愈々(いよいよ)遊び方を記述することにする。


其扇庵匠胡註:
この昭和初期には、むしろ「枕」という呼び方が少数派だったというのが興味深いです。
京都の宮脇賣扇庵は現在でも投扇興の道具を製造販売していますが、「東京榛原」というのは不勉強で初めて知りました。中央区日本橋に本社を置く和紙舗の「株式会社榛原(はいばら)」のことでしょうか?少なくともそちらのオンラインショップでは投扇興の道具は扱っていないようですが…。
なお、あちこちに誤植らしきもの(「ことろ」は明らかに「ところ」でしょう)が見られますが、旧字体を新字体に変えた以外はそのままにしてあります。