中日新聞1994年12月16日付の社会面の記事によると、全日本作法会東海本部小桜会の女性約30人が、名古屋市東区徳川町の徳川園会館で投扇興を楽しんだ、とあります。
ここで注目すべきは、そこで行なわれた投扇興の的とルールです。
「たたみ半畳分先に立てられた紙の的に、扇子を当てる単純な遊び。」
「姿勢を正した女性たちは、大きな声で氏名を名乗った後、広げた扇子のかなめを持ち、一人五本ずつ…(略)。」そして、
「的を倒し、さらに投げた扇子が富士山の形をしていれば満点。」とあるのです。
写真には、まさに蝶も箱もなく二つ折りにされた的だけが写っていたとのこと(実は、私の手元にはその記事がないのです)。乗せる台としての枕がないということは、扇に畳すれすれの低空飛行をさせて的を倒して遊ぶのでしょうか?
そして「扇子が富士山の形をしていると満点」というのは一体…?
ここからはあくまで私の推測ですが、富士山の山頂をイメージする限り、扇が要側を上にして逆立ちした格好を指しているのでないかと思います。しかも、枕がない投扇興、ということは、たてかかるべき対象もないのに扇が立つ、つまり
のような形なのではないかと。
これは試合でもたまに見かける形で、まだあまり使い込んでいない新しい扇だと、固くて山がしっかりしているため、扇が何の支えもなく毛氈の上で自立してしまうことがあるのです。
枕に立てかかってはいないものの、扇が倒れているわけでもない形。これが出ても浅草ではせいぜい行幸にしかなりませんが、「枕が最初からないから普通ならありえない」のに「扇が立った」から「満点」。これは十分考えられます。
果たして、これを確認できる機会は訪れるでしょうか。
1993年4月6日付の愛媛新聞に、「現代作法は『投扇』で 点数競いながら勉強 今治」と題する記事が載っていました。それによると、今治市で全日本作法会の「井戸作法教室」(井戸愛子代表)の女性8人が参加して市内のホテルで投扇興が行なわれたのだそうです。
いろいろな新聞記事を見ていると、投扇興はこのように「作法教室」「着物の会」「ひな祭り」などで行なわれたり、お正月遊び、あるいは芸者遊びの中など、さまざまな場面で楽しまれているようです。そのように、特に投扇興をもっぱら行なっているというわけでもない方の催しについては、左の分類でも独立した形式とは区別させて頂きました。
しかし、
扇を投げ、約二メートル先の的を倒すと五点、的を中心にした九十センチ角内に扇の要(かなめ)が入ると三点など、点数を競いながら人の前の歩き方などの作法を身に着ける。
四日は同教室で学ぶ平均年齢二十二、三歳の女性たちが、井戸さんのアドバイスを受け一人ずつ投番と的番になり、「はい」「どうぞ」のことばを交わしながら慣れない作法を学んでいた。
と書いてあるのを見ると、どうもルールの面でかなり独特のような気もしてきます。距離が「2m」というのは類を見ない遠さですし、銘の定め方も聞いたことのない方法です。
ただ、的を「枕の上で」倒したら五点、ということなら浅草でいう「松風」と同じですし、「的を中心にした九十センチ角内に扇の要」というのは、三点という点数からすると、もしかしたら「末摘花」の判定基準のことを言っているのかもしれません。「九十度」でなく「九十センチ角内」というのはわかったようでわからない説明ですが…。
神奈川在住の私には、これを確認するためだけに今治市まで出かけるというのもなかなか難しいです。情報をお持ちの方、ぜひお知らせください。
「たんすの奥で眠っている着物に、現代の風をあてて楽しもう」と着物好きの女性の方々が結成した会で、春と秋の2回さまざまなテーマで会合を開いておられます。その会では毎回必ず投扇興の大会を開いているそうです。
1998年10月10日に行なわれた『うれしのほほん きもの園遊会「和(なごやか)」大茶会』という催しの中で、投扇興が行なわれました。
当時は町の公式HPに写真も紹介されており、それを見ると道具がかなり独特な感じでした。的は何だか卓球のラケットを小さくしたような感じ。そして投者は、人の膝くらいの高さもある台の上に乗せられた畳(!)に座布団を敷いてそこに座り、その台から少し離れた所にある的に向かって扇を投げているのです。しかも、何だか屋外のようにも見え(^_^;)、やはり風にあおられるのか、どう見ても手習になりそうな感じの飛び筋になっていました。
今はHPも別の場所に移転してリニューアルされ、投扇興の記述もなくなっているので確認できなくなってしまいました。